スイカ

緩やかな流れに恐る恐る片足を浸すと、火照りが心地よく癒やされるのが分かった。水面はさざ波で織り上げられた反物のように思えたので、突き抜けて水の激しさになぶられた途端、当たり前であるはずの感触にちょっとびっくりした。

気持ちよさにもう一方のサンダルも投げ捨てて、腰掛けている岩から素足を水に浸す。コンクリートなど見あたらないこの村は、日差しの激しい照り返しがない代わりに、むわっとした自然の吐息に支配されている。清水の流れの近くでは足下から涼しい空気が漂ってくるが、それでも常時風呂場の蒸れた空気に包まれている気分だ。滲み出てくる汗は何度拭っても後から後から溢れてきて、その内余程鬱陶しくない限りは拭うのを諦めた。

ばしゃばしゃと小川の水面を弾きながら、こんなに水分を失って大丈夫なのかと取り留めなく考える。それから暑さでぼんやりとした頭が喉が渇いているのだという事に気がついた。

水底の石がはっきりと見て取れるぐらいの清水である。飲めなくはないだろう。だが、今はそれよりももっと適したものがある。

それは、濃緑と黒がぎざぎざ走るまあるい身体をネットに絡ませ、丁度目の前を通り過ぎてぷかぷかと川下へ泳いでいこうとしていた。

あのスイカを割って、種をかき分けながらかぶりつけたら、満たされる乾きとその甘さに身震いさえするかもしれない。だが、あれはおやつ用に冷やしていたスイカだ。勝手に食べてしまったら母や祖母に怒られてしまう。

誘惑を振り切るように頭を振って、ふと空っぽの左手が目に入った。スイカのネットを掴んでいた筈の左手。

「わあっ!」

ようやく我に返る。そして慌ててスイカを追い始めた。

流れは緩やかな筈なのに、スイカが流れる川の中心部は見た目以上に激しく流れているようだった。丸い影はどんどんと遠くに流れていって、掴もうとするネットの尻尾はぬるりと滑る川底と共謀して今一歩のところで指先から逃れてしまう。

もう少し先に大きな岩が突き出しているから、それに引っかかってくれるかもしれない。僅かな期待を抱きつつ、より一層力を込めて水をかき分け始めた時だった。

「手伝ってやろうか、童?」

唐突に声が降ってきた。顔を上げると、どこからやってきたのだろう。やけに古くさい狐の面を被った子どもが、件の岩の上に立っていた。深い夏の青空を背負っているので、くっきりとした輪郭が眩しく、景色から浮き上がって見えるからか妙な存在感があった。

まるで、狐の顔を持つ異形の子が話しかけてきたようで、震えは抑え込んだものの思わず足が止まる。

彼はしゃがみ込んで脇を通過しようとするスイカをネットごと絡め取り、高らかと持ち上げて見せた。

「ほら、とったぞ」

面を上げて笑いかけてくるが、面長でつり目の彼が笑うと面とそっくりの狐顔で印象はさほど変わらない。

「あ、ありがとう」

押しつけるように渡されて、戸惑いながらも礼を言うと彼は少し顔を顰めて首を振った。

「言葉の礼はいらん」

「じゃあ、このスイカ?」

頷く顔に満面の笑みが浮かぶ。

「ああ、喉が渇いた。なあに、ただでとは言わん。この鬼灯をやろう。もう赤いのだぞ」

そう言ってどこにしまってあったのか橙色に染まった鬼灯の実を目の前で揺らした。

「でも、食べ物じゃないし」

母や祖母に鬼灯は差し出せない。だが、せっかくの笑顔がまた曇ってしまうかと思うと断りづらかった。

小さなぼやきは拗ねたように聞こえたかもしれない。少年は肩を竦めてため息を吐いた。

「足らぬのか? 強欲だな。では共に山に行こう。瓜やあけびやその他気に入るものが見つかるかもしれぬし、山を歩けば丈夫になる。母御も喜ぶだろう」

「どうして知って……?」

驚きのあまり息が詰まってその先が紡げない。ぱくぱくと魚のように口を戦慄かせていると、少年はまた狐のような笑みを浮かべた。

「狭い村だ。三丁目の巫女の娘が、身体の弱い女童を連れて帰ってきたのは誰もが知っている」

そう種明かしをしてざぶんと川へ飛び込み、目の高さを合わせて改めて覗き込んでくる。

「うん、それがいい。共に山で遊んで力をつけろ。それがスイカの礼だ」

言いながら、療養の邪魔にならぬよう耳横で切りそろえた髪に手を伸ばす。

「折角綺麗なのに、男の子みたいだ。元気になって髪を伸ばした姿をおれも見てみたい」

向けられる笑顔と微かに触れる手の冷たさに、何故か心が絡め取られた。

呆然と彼を見つめていると、約束の印とばかり掌に先ほどの鬼灯を落とされた。