春色小道

冷え切った冬の風がマントを巻き上げて去っていく。既に身体は氷のようだったが、外気に曝されぶるりと悲鳴を上げる。かじかむ指先で前をかき合わせ、僅かな熱を抱き締めるために身体を竦める。吐き出した息が立てた襟の内側に籠もって、頬と鼻がじんと痺れた。

城が攻め落とされたのは、もう半月も前の事になる。王城に火矢と刃を向けたのは、侵略を企てた隣国などではなく、庇護下にある国民たちだった。少女はその時初めて、自らの居心地の良い生活が誰かの苦悩の上に成り立っていたのだと知った。

自分たちの剣となり盾となる筈の騎士団は、橋を下ろし門を開いて暴徒を城に招き入れた。敬虔なる彼らに裏切りを選択させるほど、国は疲弊していたのだ。

下ばかり見て歩くと、うなだれた先から疲労と絶望が募っていく気がする。踞りたくなる気持ちを奮い立たせて少女は顔を上げた。色の消えた世界が視界に飛び込んでくる。枯れ果てた草々の間からは乾いた大地が覗いている。空は灰色の雲がたれ込め、さながら少女の行く末を暗示しているようにも思えた。

国境にあるこの草原は、春になれば色とりどりの花が咲き乱れる。赤や黄色の大輪はひしめき合いながらも一定の方向へ倣うので、花で紡がれた自然の小道が出来た。少女はその小道を歩くのが好きで、近衛騎士の師団長によく遠乗りをねだっては彼を困らせていた。危険ですからと諫める彼は、しかし最後にはいつも少女の熱意に折れた。了承の代わりに剣を胸元まで掲げ、誓いを立てる。我が剣にかけて貴女を守りましょう――。そう畏まられるのが嬉しくて、ついつい我が儘に拍車がかかった。

在りし日の面影すら残さぬ景色に、涙が溢れそうになる。この事態を招いたのは民を省みなかった自分たちであるから、裏切った彼や騎士団に恨みはない。だが、向けられた忠誠が、笑顔が、偽りだったのだろうかと思うと胸が痛む。いつから彼らは忠義の裏側に不平不満を押し込めていたのだろうか。

父である王は弑されたと風の噂で聞いた。国交のあった隣国に助けを求めて歩いているが受け入れられるとは限らない。世間知らずの自分に着いてきてくれたのは、いつも身の回りの世話をしてくれた侍女が一人。貧乏くじを引かせてしまったとは思うが、それでも今までの感謝と別れを告げてこの寒空の下で独りになる勇気は持てなかった。

と、行く手に佇む影に気付き、少女は引き摺るように進めていた足を止めた。先を行く侍女が、疲れ果てた顔を上げて少女を振り返り、瞠目する視線の先を無感動に辿る。そしてびくりと肩を震わせた。

色のない世界に彼女の死に神が立っていた。白銀の鎧を纏い、あの春の日この草原まで連れてきてくれた時と同じ姿がそこにある。

「お戻りください。生涯通しての幽閉に承諾くだされば、貴女の命までは取りません」

少女はゆっくりと首を振る。

「貴女お一人で、何が出来るというのです!」

頷かぬ少女に、師団長が声を荒らげる。僅かに覗く焦りに、かつて抱いた淡い恋心が蘇って胸が詰まった。駆け寄りたくなる気持ちを抑え込み、大きく息を吸う。今この時彼が一人でそこに立っている。その事実だけで充分だった。

ありったけの虚勢を貼り付け、少女は師団長に向き直る。

「それでも、私はこの国の王女です」

責を問われるなら、国を立て直す事で償うべきだ。それを許されず殺されるのは、嫌だが仕方ない。少なくとも、もうお膳立てされた環境に安穏と身を委ねることはしたくなかった。

色とりどりの花咲き乱れる春色小道を歩くが如く、凜と胸を張り枯れ草を割って歩く。エスコートする彼に代わって、怯える侍女が後に続いた。

彼の手にかかれるならまたとない最期であったが、柄に手をかけた剣は最後まで抜かれる事はなかった。